らんだむな記憶

blogというものを体験してみようか!的なー

考える

時々読み返したくなる。読み返して身が引き締まる。
まぁ、一番嫌なのは定理の主張と証明を見て、主張は正しいけど証明が間違ってる場合だろうか。読んでいくと何か変だな、これは要らないんじゃないかな、或いは何か他のものが要るんじゃないかなとか。
3日くらい考えて「何か他のものが要るんじゃないかな」という場合にはそれを仮定に付け加えて、ちょっと冗長な仮定で結論まで突き進めてみる。あとで不要だと理解した時点で削る。
「これは要らないんじゃないかな」という場合は、それを削った場合の一番極端な例を考えてみる。これも3日間くらい考えてどうしても良い反例が作れないならやっぱり要るのかな?と思い直してggりまくってみる。
どっちでもなくて単純に議論がおかしいなという場合には、ありがちなやつなら他の本を見てみる。あまり他の本で見つかりそうにないなら、頑張って別証明を捻出する。それも難しそうなら、その定理を使う前後の議論に対して別のアプローチでバイパスを考えてみる。
どれもダメそうであって、かつその本の議論の一番大きい道筋からすれば瑣末な脇道に過ぎないなら、もうそこの脇道はそこで止めて、大きな道に戻って先を進む。
なんて色々やってなかなか進まなくて飽きてしまうことも少なくないなぁ・・・

OSや実行環境のバグはとても不思議なことがあるからじっくり追いかけるしかないかもしれない。Microsoft Word とか謎の挙動をすることもあるけど、追いかけてみるとやっぱり不思議な制限が見出せてしまうことがある。最初はなかなか論理的には理解できないけど、すべての辻褄が合うところまで追い詰めると、本当にクソだなとは思うものの、わりとスッキリとした表現で「○○という条件を満たす時に××とう現象が発生する」と言えたりする。物凄いイライラして憤慨するけど、辻褄が合ったこと自体にはスッキリする。