らんだむな記憶

blogというものを体験してみようか!的なー

Comic Sans

「なぜ私はあんなダサいフォントを作ったのか」- Comic Sansの制作者自らが語る - DNA
不評のため使用禁止運動まで起こったフォント「Comic Sans」を作ったデザイナー - GIGAZINE
なんでか嫌われているが(そのような印象を受けるが)、これがダサいのであれば何はダサくないのだろう。
何であるが故にダサいのであろうか?

以下のような解説もあった:
» 身近な書体:Comic Sans Toshi Omagari

興味のあることはコレだ。
「自分の中で綺麗 or 良い or スマートな(その他なんでもいいがpositiveな印象の)書体の集合は極大元を持つか?望ましくは最大元を持つか?」
その上で「個人における最上の書体について、それら全体の集合は“集積点”を持つか?この部分列は何に収束しているのか?」

美意識は個人的なもの・・・というのは本当だろうか?勝手に自発的に生じるのだろうか?
仮名は漢字が崩れてできたもの・・・ということであれば、すべての仮名のもっとも綺麗な形は崩れを伴わぬ漢字であるべきではないのか?しかしながら「綺麗な仮名」というものがあるようだ。この「綺麗な仮名」と呼ばれるものたちの極大元は何なのか?どこから来たのか?
来たのではなく与えられたのではないのか・・・?
“集積点”は案外身近なものではないのだろうかと推測する。その集積点から遠いものがダサいのではないだろうか?