らんだむな記憶

blogというものを体験してみようか!的なー

論理思考

さらに大学の4年間でほとんど勉強しません。これは企業の採用基準が悪い。採用のときに大学の成績や読んだ本のことは一切聞かずに、ボランティアの経験を話してごらんなどと言っているわけです。だから、エントリーシートに書くためにボランティアをやるというような、本末転倒な状況が生まれてくるのです。

という傾向があるとするなら 日本人の英語力 - らんだむな記憶

人間はインセンティブで勉強する動物なので。

に対して「ボランティアをやる」ということになるのだろうな。

こういう時、久しぶりに 非合理な職場 ―あなたのロジカルシンキングはなぜ役に立たないのか を読み返したくなる。結局ロジックを組み立てても相手が心情的に納得できないことは受け入れてくれない、頭では分かっていても心では分かりたくないので説明を通せないといった内容だが・・・これって世界でもそうなんだろうか?

Why are logic and evidence so little importtance in Japan? な体験は子供の頃から色々と思い当たることはあるし、そもそも「何故なら」等々理由や根拠を示されることは少ない気はする。論理を尽くして「でもでもだって」が返ってきやすい気はする。

算数や数学も授業で正解か不正解かは問われても、不正解な際に何がどうであるから不正解なのか、といったことに時間を割かれた記憶はない。結局そもそも正解がある物事、或は何が正解とは言えない物事に対して議論し、何を仮定して、何を導き、それを吟味し評価し議論するといったことを 20 歳までにほとんどすることなく脳みそが概ね固定化されるんかもしれないな。また、議論の結果不正解、間違いであると結論づけた場合に、ではどうすれば問題点を回避できるか?とか前提をどう変えたら代替案が出てくるか?といったことは更に考える場はなかったのではないだろうか?

まぁ、算数ドリルも英単語長も悪くないんかもしれんけど、丸暗記したらできちゃうしな。考えて組み立てたり関連づけて広げたりするということに対するインセンティブがなさすぎるのかもしれない。