らんだむな記憶

blogというものを体験してみようか!的なー

目的と手段

○○がしたくて道具として××を使うのではなく、××を使いたいから○○を道具として使う自分にとっては、色々ムズカシイこともある。

量子力学を通して世界をよりよく理解するために偏微分方程式函数解析を使うことはどうでもよくて、函数解析を使いたいからそのお供として偏微分方程式を活用し、そのキャンバスとして量子力学を使う。
仕事に便利なツールを作るためにrubyを使うのではなく、rubyでスケッチをしたいので支持体として適当な仕事をでっちあげてツールを作る。(か、本当に面倒臭いのでツールが必要な場合に、特にrubyである必要性もまったくなくてもrubyを使ったりもするが)

あまり作品作りには興味がなくて、作品を創る過程で用いる道具の切れ味とシルエットの美しさとかそういうほうに興味があるんだろう。
そんなこんなで20年は過ごしたから今さらにそういう方向性も変わらんだろうな。

とくにやりたいことがあるわけでもないが、これを使いたいというのはあるので、本棚はちょっと謎になってしまっている。「函数解析を使いたい」みたいなことを言ったら先生から窘められてしまった記憶が蘇るなぁ。

そして最近はカリグラフィーはどうでもいいのにカリグラフィーのペンが使いたいという謎の衝動におかされている。カリグラフィーマーカーは持っているが、インクの出がイマイチぬるいので、キリッとしたラインが引きたい気がする。うぅん。
あれ?確かに大抵逆転しているな。CGが描きたいからPhotoshopを使おうとはあまり考えなくて、Photoshopが使いたくてCGを描いたりするところがあるぞ??