らんだむな記憶

blogというものを体験してみようか!的なー

3囚人問題

モンティ・ホール問題とほぼ同様の問題に3囚人問題 - Wikipediaがある。(手持ちの版の確率論 (新しい解析学の流れ)では「囚人のジレンマ - Wikipedia」となっているが、これはゲーム理論の問題のようだ)
モンティ・ホール問題 - らんだむな記憶で、左から囚人A, B, Cとし、自身が囚人Aとする。看守が囚人Bは処刑だ、と宣告された場合に囚人Aが恩赦される確率はモンティ・ホール問題でドアを変更しなかった場合(まぁ、今回は変えようがないのだが)の確率 1/3 となる。
まぁ勿論、「看守が囚人Bは処刑だ」と言ったところで気持ちをリセットして確率空間を再構成すれば、囚人Aが恩赦される確率は 1/2 ということにもできようが。
確率空間を固定しておくなら、囚人Aが恩赦される確率は最初っから 1/3 のままである。

wikipedia にある「直感的・主観的に捉えた確率と確率計算の結果が一致しないのはなぜか」というのは、徹頭徹尾確率空間を固定して議論するか、状況に合わせて別の確率空間上の確率値を出してしまうかによる差異だろう。まぁ、確率空間 $(X,\mathfrak{F},\mu)$と$(Y,\mathfrak{G},\nu)$ 間で値を比較するのは馬鹿げているので、確率論の問題としては、1/3 ですよーというのが妥当な気がするが、実際にはころころ変えてしまう。

この視点の変更を意識しにくく、考えている確率空間が何なのかをふと忘れてしまうことに「確率」を考える難しさの1つの理由がありそうに感じる。

Bayesの定理からのアプローチでは
基礎からのベイズ統計学: ハミルトニアンモンテカルロ法による実践的入門に解説がある。看守の宣告に癖を持たせた場合の議論はwikipediaの「解法」内にて言及があるが、裏の状況が少し変化する。だが、確率空間を固定する限りにおいてはAが恩赦される確率は変動しない。