らんだむな記憶

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曲線の交点

高校とかでよく曲線の交点を求めよなんて問題が出たものだ。
単純なものでは、2次元平面内の曲線
\begin{equation}
y = f(x),\ y = g(x)
\end{equation}
の交点を求めるというもので、$y$同士を等号で結んで$f(x) = g(x)$として、$x$についての方程式を解くという形だ。
$f,\ g$は共に多項式であるとして、3次方程式ならCardanoの公式、4次方程式ならFerrariの公式によって代数的に解ける。5次以上になると公式では解けない。大学の3回生程度で学ぶGalois理論へと繋がる代数学の道の途中でAbelらの成果として解けないことが示されたと説明されるからだ。

Cardanoの公式とFerrariの公式はそれほど難しい導出というわけでもないし、複素数が嫌いでなければいい。何故か高校3年の最初の数学の授業でCardanoの公式を習い、ちょっとびっくりした。実数のみの方程式を解くのに、わざと複雑化した上に複素数が出てきて、そして最後に厳密解が面白いように求まってしまうのだから。
一方で、5次以上の方程式が解けないことの説明は実に難しかった。正直まともに覚えていない。
五次方程式 [物理のかぎしっぽ]にあるような記号がでてきて、ある群構造が4次までは可換だが、5次以上は非可換であり故に方程式が代数的には解けない、即ち解の公式を構築できないというのだ。なんだか凄そうだ以上には分からぬまま時が過ぎた。
この頃には同時に複素解析(or 函数論)の授業で代数学の基本定理なるものを習う。何故解析系の授業で代数学?という気持ちになるところだろう。その内容は複素係数の$n$次多項式$f(z)=0$は複素数の範囲で$n$個の根を持つと主張するものだ。代数学の基本定理 - Wikipediaなどでも触れられている、Liouvilleの定理とセットで習う感じだ。Liouvilleの定理は何故かよく使い所があって、複素解析の便利ツールのようなイメージだ。
代数学の授業でも代数学の基本定理の別の表現として「複素数体$\mathbb{C}$は代数閉体である」として習う。一般に体$K$において、$K$-係数の多項式の根$q$を$K$に付け加えて適当に整地して再び体の構造をとらせたもの$K[q]$を拡大体と言ったはずだ。たぶん。この時$q$の最小多項式の次数を$d$とすると、"$d$次の(代数)拡大体" などと言うと思う。「$\mathbb{C}$は代数閉体」というのは、この拡大の概念において$\mathbb{C}$は "極大" でこれ以上拡大できずその意味で閉じているということだ(どっか新しい世界にいかないことを「閉じている」とかいうイメージ)。これは、$\mathbb{C}$-係数の多項式の根はすべて$\mathbb{C}$の元なので、その根を1つとってきて$z$としたとして、$\mathbb{C}[z] = \mathbb{C}$だからもう拡大できねーよということである。

Abelの理論と代数学の基本定理をごっちゃにすると悲惨だ。片方は解けない、もう片方は解けると主張しているように見えるからだ。前者は代数的に、大雑把には有限回の手計算で解けるような術は存在しないと主張しており、後者は手計算で解けるかなんか知らんが神の超越的な力をもってすれば複素平面内に解が見つかるぞと言っている。
加えて、方程式自体に人為的対称性があれば5次以上であったとしても公式チックに解けたりすることもある。Abelの理論はどんな係数であってもたちどころに解けるような公式は作れないことは示しているが、別に特殊な状況でもそういうメソッドが構築できないことは主張してはいない。この辺もごちゃごちゃにすると何が正しいのか分からなくなるだろう。
が、まぁ、そんなことを事細かに授業で聞いたような気もしないし、そういうのを精査してじっくり考えるのが大学での学習というものだからそういうもんだろう。

そして幸いにして高校で出てくる2次元平面内の曲線の交点を求める問題はCardanoの公式を使わせるわけにはいかないので、高々2次方程式止まりであり、これはきっと有名な和風と洋風の響きの入り混じる呪文「ニーエーブンノマイナスビープラスマイナスルートビージジョウマイナスエーシー」で直ちに解けてしまうことだろう。