らんだむな記憶

blogというものを体験してみようか!的なー

パッケージ

最近のソフトウェアの販売は、パッケージ内のDVDに入ってる実行ファイルは最新のインストーラダウンローダだけだったり、シリアルキーが書いてある紙切れだけだったりするような気がする。
アップデートが激しいから、メディアにとあるバージョンを入れていてもすぐに陳腐化するみたいな。

シリアルキーが書いてある紙切れくらいなら、もうやめちゃって、全部DL販売でいいじゃないか、そのほうが紙資源も無駄にならないし、ネットでアクティベーションして終わりだし、とか思ったのだが。なので、最近もモノとしてのパッケージを見て苦笑したものだ。自分も前ほどは箱を入手しなくなってきた。

が、これは一定のITリテラシーがあってこそなんだなぁとついさっき知った。

パッケージという「モノ」が販売されることに意味があるなんてそれまで思えなかった。シリアルキーだとかダウンロードしてきたsetup.exeといったデータに価値を見出してもらえない場合があるようだ。コピーしたら使えないかな?と思うものなのかもしれない。
実際は認証プロセスがあるから、シリアルキーの使いまわしではアクティベーションが通らないが、意識面でフリー同然の扱いだと「ケチな仕様だ」程度にしか思われないかもしれない。

CD-ROMの中にアプリが入っていたころと現在は随分違うのかなぁ。箱に入った何かを買えば金を出して買ったモノだから価値がある。という感じで、【ソフトウェア+箱】でなんとかソフトウェアに物理世界の形を与えて価値を意識させる。

高いライセンス料を払ってもらうんだから、シリアルキーを入れている箱も豪華な立派なものにしないと、という考えが必ずしも古臭いわけじゃないんだなぁと納得した。仮想化やデータが進んで実体が薄い現代だからこそ「立派な箱に入っているシリアルキーを使って利用できるアプリは立派なものなんだ」と思わせて不正利用をできるだけさせないという作戦とも考えられるんだな。とても立派なスーツを着てるから、あの人は立派な人なんだろう、粗相のないようにしよう、ってやつだな。

そういえば、iTunesカードをコンビニでパクッて使えないって店員に苦情しにいったとかいうネタをどこかで見た気がする。バカなやつだ程度にしか思わなかったが、コンビニにぶら下がっているカードごときだから、それでできることなんて大した価値のあることじゃないということか。みすぼらしい身なりだから、アイツはそういうやつなんだ、石投げつけちゃえ、というところか。
仰々しい箱にiTunesカードを入れたらパクらなくなるのかもしれないが、認証サーバが面倒見てくれるのにわざわざ無駄な金などかける必要もないか。

某カラオケアプリも「なんで無料で歌えないんですか!」ってレビューで★1つがてんこ盛りだが、iTunesカードなりGoogle Playカードでも買えよって、サービス運用のコストとかコンテンツホルダーからの調達コストとかアプリ開発コスト考えろよってな気持ちだったが、考えてみると、あんなぺらぺらのカードごときでできるものに価値など見出してはもらえないか。やはり立派なモノがないと難しいか。

エンジニア的な視点でしかソフトウェアを見ないから、こういうのはなかなか直面しないと気付かないな。
DropboxGoogleドライブ, Github, ニコ動, YouTubeも基本サービスは無料だから、きっとサーバ運用・保守コストやストレージの単価なんて気にもしてもらえないんだろうな。そういうのを分かった上で、5%のユーザーが有料コースにしてくれたら黒字運営できるようなビジネスモデルにしてるって発想が凄いゎ。IT的な部分に金銭的価値を見出さないやつが95%でも黒字で回せる方法を考えるってのが凄い。もうITで食ってくのは無理だなって思わないんだなぁ。

…ま、ITリテラシーがあろうがなかろうが、価値があることが分かっていようが分かっていまいが、アクティベーションが絡まないソフトウェアについてはクラックしちゃうやつはクラックしちゃうんだが。全部アクティベーションものにされるのも面倒で嫌だなぁ。